釈量子の志士奮迅 [特別編] – 「祖国への愛」のために戦った祖先の足跡 – パラオ・ペリリュー島 ルポ(The Liberty連載)

釈量子

月刊The Liberty(2015年6月号)に『釈量子の獅子奮迅(ししふんじん)ー世の中は変えられる!』の連載記事特別編が掲載されました。今月号では「「祖国への愛」のために戦った祖先の足跡 – パラオ・ペリリュー島 ルポ」と題して、ご紹介いたします。

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「祖国への愛」のために戦った祖先の足跡

 4月9日、天皇、皇后両陛下がパラオ共和国・ペリリュー島を訪問されました。70年前の1944年9月、日米で死闘が繰り広げられたこの島で、日本兵1万人はほぼ玉砕。米軍もほぼ同数の死傷者を出したとされます。島内には今も2600柱に及ぶ日本人の遺骨が眠っているとされ、両陛下は日米双方の記念碑に祈りを捧げられました。

 3月末、私もこの島に行ってまいりました。両陛下を迎えるため、島の各所で道路舗装の突貫工事が行われていましたが、それ以外は、人口500人の島は、波の音と鳥の声ばかりの、驚くほど静かなところです。しかし、島に残る戦跡に一歩足を踏み入れると、70年前の砲弾や空爆による轟音が響いてくるようでした。

 島西部のオレンジビーチ(上写真)は、今は風光明媚な浜辺ですが、1944年9月、米軍のペリリュー島攻略戦における最初の上陸地点で、壮絶な戦いが繰り広げられた場所です。押し寄せる米軍と迎え撃つ日本軍。双方の兵士の血で、海辺が赤く染まりました。

 米軍は当初、この島の戦いが、2、3日で終わると楽観していました。上陸に先立ち、米軍は3日間で約17万発、2220トンもの砲弾を撃ち込みました。島の面積は約13平方キロメートル。1平方メートル当たり10発以上の砲弾が降り注いだ計算です。この猛攻撃で鬱蒼としたジャングルは消え、隆起珊瑚の岩山が露出。「もはや生き残っている日本兵などいない」と思われました。

 しかし日本軍は、ツルハシで珊瑚の岩盤を掘り、この島の地下に無数の洞窟をつなぎ合わせた陣地を構築して、艦砲射撃をしのいでいました。その後、徹底抗戦は70日以上も続きました。

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続きはThe Liberty Web、もしくはThe Liberty(2015年6月号)をご覧ください。

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