いま見直したい「特攻」の精神と「靖国」 – 釈量子の獅子奮迅 [第20回](The Liberty 連載)

月刊The Liberty(2014年3月号)に『釈量子の志士奮迅(ししふんじん)-世の中は変えられる!』の連載記事(第20回)が掲載されました。今月号では、『いま見直したい「特攻」の精神と「靖国」』について、ご紹介いたします。

 

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 昨年末、米ニュージャージー州で元国連職員のシズコ・コスターさんという方にお会いしました。彼女は現地で、日本の誇りを取り戻すために、様々な言論活動をされています。このシズコさんが「忠犬ハチ公」の話を翻訳しアメリカに紹介しています。本のタイトルは『Hachi-Ko:The Samurai Dog』。亡くなった飼い主の帰りを渋谷駅前で7年間待ち続けた忠義の姿は、アメリカ人に驚きを与えます。日本では犬まで「サムライ」なのです。
 最近は国内でも、国を守ったサムライたちが注目を集めています。全国の映画館で公開された「永遠の0(ゼロ)」です。大ヒットし、数週間にわたり動員数1位を記録しました。これは、太平洋戦争で特攻隊として散った零戦のパイロット・宮部久蔵(きゅうぞう)の物語。家族のために、戦争から生還することに執着していた彼が、なぜ最終的に特攻隊に志願したのか。現代に生きる子孫がその答えを探していきます。タイトルが表しているのは、宮部の「死んでも家族を守りたい」という「永遠の愛」です。
 隊員の犠牲ありきの特攻作戦そのものは、戦略として下策(げさく)と言われており、私も複雑な気持ちがありました。映画の中でも特攻に関し、登場人物が「こんなの作戦じゃない」と漏らすシーンがあります。
 実は、「神風特攻」を考案・指令した大西瀧治郎(たきじろう)中将も、当時「特攻は統率の外道」と自ら語っていました。それでも、大西中将が特攻を命じた理由は、何だったのでしょうか。

 

特攻に秘められた「永遠の愛」

 大西中将本人が、その問いに答えたことがあります。記者の「特攻隊で戦況が挽回できるのですか?」という質問に対し、大西中将は「日本が滅びるかどうかの瀬戸際にきて、この戦争は勝てぬかもしれぬ。しかし青年たちが国難に殉じて、いかに戦ったかという歴史を記憶する限り、日本と日本人は滅びない」と答えたのです。
 これは、安易な抽象論ではありません。
 特攻の思想は、明治維新の立役者である吉田松陰の生き方に通じます。黒船に乗り込もうとして捕えられた松陰は、兵法家であるにもかかわらず、聞かれてもいない幕臣の暗殺計画を明かし、斬首刑に処されるという、一見非合理な行動をとりました。
 しかし現在、それを「犬死」と笑う人はいません。その精神と行動が、全国の維新志士の心に刻印され、明治維新を起こしたからです。松陰の辞世の句、

「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留とどめ置かまし 大和魂」

は、文字通り現実となったのです。こうした、歴史を動かす「徳」の力が、日本の精神史の底流には流れています。
 特攻隊員たちも、たとえ勝てなくても、せめて日本を救う魂を「留め置」こうとしたのです。次に紹介するのは、18歳で特攻した大橋茂伍長(ごちょう)が、家族に宛てた最後の便りです。
 「後に続く生き残った青年が、戦争のない平和で、豊かな、世界から尊敬される、立派な、文化国家を再建してくれる事を信じて、茂は、たくましく死んで行きます」
 大橋伍長は、「身はたとえ 南の空で果つるとも とどめおかまし神鷲の道」と辞世の句を残し、慶良間(けらま)列島付近で、アメリカの輸送船に体当たりしました。
 特攻で散っていった若者たちは、たとえ戦争に負けても、子孫たちが自分の姿を励みに、平和で豊かな国を創ってくれればそれで本望だ、と思っていたのです。これこそまさに、現代を生きる私たちへの「永遠の愛」ではないでしょうか。彼らは今もこの日本の繁栄を願っているでしょう。

 

靖国神社に「留め置」かれた後世への思い

 特攻隊のみならず、大戦で戦死した多くの方々も同じ気持ちだったはずです。昨年末、靖国参拝を決行した安倍晋三首相に対し、国内からも「大戦の宗教的・精神的支柱であった靖国への参拝は、先の大戦を正当化する」といった批判が浴びせられました。しかしそれは、「靖国で会おう」と言って死んでいった英霊たちが、命と引き換えに後世に留め置こうとした思いを否定する行為です。彼らの死を「犬死」にさせないためにも、靖国に首相が参拝するのは、当然のことです。
 吉田松陰の弟子たちが、師の志を受け継いだように、私たちもその精神を後世に遺さなければなりません。それは、「他国の侵略で、日本人の命は一人も失わせない」という気概を示すことです。

 

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