月刊The Liberty(2014年10月号)に『釈量子の獅子奮迅(ししふんじん)ー世の中は変えられる!』の連載記事が掲載されました。
今月号では『武士道の国は虐殺なんてできない』と題して、ご紹介いたします。
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武士道の国は虐殺なんてできない
暑い夏ですが、みなさまはどのように過ごされていますか。私にとってこの夏は、「日本人の精神性」について深く考えさせられる夏となりました。
8月上旬に「日本三大花火」の1つとして知られる、新潟県の長岡花火が行われました。私は今年、ちょうどその日に、講演のために現地を訪れました。
この長岡には先の大戦中、「模擬原爆」が落とされました。終戦直前の1945年7月20日、長岡市左近町の上空に、米軍の爆撃機B29が現れ、長崎と同じ形の爆弾に、プルトニウムの代わりに火薬を詰めた「模擬原子爆弾」を投下。もちろんその後に行う”本番”のための訓練でした。
爆弾は、畑仕事をしていた親子を直撃し、母親は即死。おぶわれていた赤ちゃんは無事だったものの、父親と共に、鉄道自殺で後を追いました。
さらなる悲劇が長岡を襲います。同年8月1日の夜半、米軍機は16万発の爆弾を投下。一夜にして1470人の市民を焼き殺しました。長岡花火は、この空襲の被害者の慰霊と平和祈念のために始まったものです。
日本はホロコーストを受けた
米軍は日本各地に50発もの模擬原爆を落としています。また「東京大空襲」以外にも、全国の地方都市に焼夷弾を雨の如く降らせ、女性や子供を含む一般市民を無差別に焼き殺しました。さらに、広島・長崎の市街地には核爆弾を投下しました。
先日対談させていただいた上智大学名誉教授の渡部昇一先生は、「アメリカがナチスドイツの残虐性を糾弾するのに使う『ホロコースト(大量虐殺)』という言葉は、『焼く』が語源なので、アメリカの原爆や空襲にこそ使うべきだ」とおっしゃっていました。
日本に根付く「義」の心
このような話題に接すると、逆に、当時の日本軍が非常に人道的だったという事実に触れざるを得ません。
日本軍は原則、民間人には手を出さず、軍人や軍用施設のみを標的にしました。当時の国際社会では真面目すぎるほどです。
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