月刊The Liberty(2014年12月号)に『釈量子の獅子奮迅(ししふんじん)ー世の中は変えられる!』の連載記事が掲載されました。 今月号では『真に「女性が輝く社会」とはどういう社会か』と題して、ご紹介いたします。
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真に「女性が輝く社会」とはどういう社会か
安倍晋三首相は国家成長戦略の柱として、「女性が輝く社会の実現」を掲げています。
女性が希望を持てる国にするためにも、彼女たちの成功を妨げる社会の意識や仕組みを変えていく試みは必要です。
しかし、政府がその一貫として、企業に女性幹部登用の数値目標を割り当てる「クオータ制」導入を進めていることについては、「男性への逆差別だ」「底上げ人事は、実力ある女性に対して失礼だ」という声も出ています。男女の結果平等を目指す政策には、違和感が拭えません。
そもそも「女性が輝く」とはどういうことなのか。今一度、考える必要があるのではないでしょうか。
女性が社会進出するアメリカの迷い
安倍首相は、9月に国連総会出席のため訪米した際、アメリカの大手企業で働く女性幹部らと「女性の輝く社会」について意見を交わしました。女性が活躍する社会として、アメリカをモデルの一つと考えているようにも見えます。
しかし、アメリカの男女観も、迷いの中にあります。企業の女性CEOたちは、仕事と家庭の両立に苦しみ、高い離婚率を問題視した保守系キリスト教会が、「男性を立てる」良妻賢母をすすめるといった動きもあります。男女を同一化する流れの中で、同性愛の問題も深刻化しています。
他の国でも同じです。女性教育の大切さを訴え、ノーベル平和賞の受賞が決まったマララさんについても、パキスタン国内では賛否が分かれています。
なぜ神は男女を分けたのか
時代や社会が変わる中、女性の役割を定義することは、ますます難しくなっています。
しかし、変わらないものがあります。それは、この地球という星に「男女」という2種類の性が存在し、家庭を営み、子供を育てることで、社会を構成しているということです。なぜ神は、人間を男女に分けられたのか――。女性論を問うことは、「人間とはどのような存在か」を問うことに等しいのです。
この根本を間違えた男女観は、大きな不幸を生みます。
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