月刊The Liberty(2015年7月号)に『釈量子の獅子奮迅(ししふんじん)ー世の中は変えられる!』の連載記事が掲載されました。今月号では「若者たちが特攻前夜に考えたこと ――軍人たちの心は「侵略者」か」と題して、ご紹介いたします。
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若者たちが特攻前夜に考えたこと
夏の装いが目につく季節となりました。この時期は、日本がちょうど70年前、沖縄にて対米戦の最終局面を迎えていたころ。そこから原爆投下などを経て、8月の終戦へ至ります。
その歩みを追うように、これから報道などで、当時に想いを馳せる機会が増えるでしょう。
「沖縄を守るため」「親、兄弟を守るため」
あの時代を戦った方々の想いを、この耳で聞かなければならない――。
私はそう思い、5月3日に鹿児島県南九州市の知覧平和公園で行われた「知覧特攻基地戦没者慰霊祭」に参列させていただきました。知覧は、沖縄戦に向け439人が特攻出撃した場所です。
61年続く慰霊祭の発起人が、地頭薗盛雄さん。この方は元特攻隊のパイロットで、19歳のとき、特攻に向かう途中で、終戦の知らせを受けました。
特攻せんとする軍人の心境を知る、数少ない生存者であるご本人に、当時の想いを伺う機会を頂きました。
巷では特攻隊に対し、「洗脳されていた」「テロだった」という見方があります。
しかし地頭薗さんは、「当時の自分には『天皇陛下のために死ぬ』という発想はほとんどなかった」。あくまでも、「沖縄を守りたい」「自分が死んで、戦果を挙げることで、親や兄弟を守りたい」という思いだったと、当時の心境を語ります。
出撃前夜、地頭薗さんは共に出撃する戦友と最後の食事をし、宿舎の外でお互いに別れを惜しんだそうです。そこで一同の口から自然に出てきたのが、この歌でした。
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